愛猫との別れ、彼女が最期に私に残してくれたこと

2019年3月26日、実家の猫が虹の橋のたもとへむかった。

我が家にとっては2度目のペットの死だ。初めては6年前の3月25日の愛犬の死。その時は看取ることができずに、病院で死後の姿をみることしかかなわなかった。

今回は初めて最期を、本当の最期を看取ることができた。それは、自分の中でとても悲しい出来事だったけど、それとともに生きることに対しての力強さをまざまざと見せつけられた光景だった。

その際に、多くの方のブログを拝見させてもらって力になったこともあり、私もこの出来事を残しておこうと思う。長文となりますが、ご容赦ください。愛猫のことはあえて、彼女と呼ぶことにします。

彼女との出会い

彼女は2010年に我が家へとやってきた。もともと兄嫁が生後間もないころから飼っていたのだけど、子供が生まれることに伴って、我が家に引き取られることとなった。それから1年半ほど実家で、私も一緒に暮らしていた。

その時は愛犬を飼っていたこともあり、仲良くできるか不安ではあったが、適度な距離感を保ちながら生活しているようだった。

その後、私が一人暮らしをはじめるにあたり、彼女も連れて行くこととした。そこから2年ほど、私と彼女の同棲生活が続いた。

彼女はとても寂しがりやで、仕事が遅くなる日には、ふとんやソファに粗相をすることが多かった。それを勝手に寂しいからと決めつけていた。とても上品な顔立ちだったがかなりのおてんばで、いつも走り回ったり、足をけりぐるみにしたりしていた。

この同棲生活が終わったきっかけは愛犬の死だった。実家の愛犬が亡くなり、両親、特に父の喪失度合いが高く、見ていて心配になるほどだった。そのため、彼女を実家に戻すことにした。

実家に戻ってからも、私は定期的に会いに行き、様子を確かめていた。

しかし、仕事の忙しさから次第に会いに行くことができなくなっていき、彼女の変化に早く気づくことができなかった。私が気付いた時には目に見える程度に痩せてきていた。

その後、病院へ行って治療してもらったり、食事を変えたりして一時的には快方に向かっているようにみえた。しかしながら、彼女もすでに19歳。人間で言えば95歳くらい。完全に快方に向かうことはなかった。

2019年3月23日(土)

それは突如として訪れた。

父からのLINEで様子がちょっとおかしいという内容だった。私は用事を切り上げすぐに実家に向かった。

一目でわかるくらい痩せ細っており、食事もまったく食べなくなっており、寝てるか水を飲むときだけ起き上がるような状態だった。感覚的なものなので、具体的にこれがおかしい、と表現はできないが、明らかに今までとは様子がちがっていた。

以前までは、私が行くとひざにのってきたり、玄関で私の靴を蹴りぐるみにして遊んでいた彼女だった。しかし、今はもうそのような状態ではなかった。

しかし、撫でたり声をかけたりするとまだ反応してくれる。体は痩せ細っていたがしっかりとした足取りで自らトイレまで行ってトイレをし、水飲み場まで行って水を飲んでいた。そして、お気に入りの洗面台までジャンプして登ってみせた。

それでも水を飲むのは10回くらいなめるだけ。いつもなら飛びつくパウチのウェットフードも匂いを嗅いで顔をそむけた。腎不全と尿毒症を患っているとのことだったので、それが末期まで進み、食事も受け付けない状態なのだと。

この日も点滴のために病院へ行こうとしたらしいが、あまりにも嫌がったとのことだったので、もう治療はやめて家で世話をしようと決めたとのことだった。私はこの決断に大いに賛成した。

その日は、実家に行った17時頃から日付が変わった1時までそばで付き添った。途中、最初の飼い主である兄嫁も様子を見にきた。彼女は少しうれしそうな反応をした。したように見えた。

彼女は1時間に1回、水を飲むために起きて、30分ほどかけて水を飲みそして、また寝床へ戻るということを繰り返していた。水を飲んだ後には力強く「ニャー」と鳴いてくれた。いや、彼女の鳴き声は「ナー」だったな。

寝ている間も、目は開いたままだったが、呼吸は落ち着いていた。呼びかければ、いつも通り尻尾を振ってこたえてくれた。彼女は、名前を呼びかけられるといつも尻尾をふってくれた。

2019年3月24日(日)

この日も朝から実家へ向かい、彼女に付き添った。

彼女は昨日よりも少し弱っていた。2時間に1回ほど起き上がり、トイレをし、そして水飲み場へ向かう。しかし、昨日と違い、足取りがすこしふらつくようになった。それでも、まだ洗面台に登る力は残っており、あぶなっかしいところもあったが、自分で洗面台に登り、降りた。やはりお気に入りのようだ。

私たちは、極力彼女の好きなようにさせよう、そして、できる限り手をださないでおこうとした。

この日は2回のお気に入りの場所にもむかった。ペット用のこたつだ。彼女はそれが大好きで、こたつの上に香箱座りをし、おなかに小さな火傷跡を作ってしまうほど気に入って使っていた。この日もこたつの中に入り、寝そべったり香箱座りをしたりしていた。

定期的に水を飲みに行くとはいえ、回を重ねるごとに弱っているのが見て取れた。朝と夕方だけでも様子が違って見えた。水飲み後の鳴き声も声がかすれてきた。

水飲み場へ行くのも途中でひと休憩をいれなければならなくなった。水を飲む量も減った。

この日調べてわかったことだが、猫は死期が近ずくと低体温になり、余計なエネルギーを消費しないようにと、冷たいところを好むそうだ。極力、彼女の行動に手を加えないようにはしていたが、少し楽になるならと、タオルで巻いた簡易的な氷まくらをしいてあげることにした。

この日は、途中で買い物等には行ったが、朝から日付が変わる1時まで付き添った。途中抱っこしてみると、とても嫌がった。その嫌がりがまだ生きている証だと感じ、嫌がっている姿も愛おしく感じた。

日付が変わる頃には寝てる間の少しの動きも見れなくなり、かなり衰弱してきているように見えた。ただ、まだ名前を呼ぶと尻尾をふってこたえてくれた。

2019年3月25日(月)

愛犬の命日だ。愛犬とも2年ほどの時間を一緒にすごしていたので、もしかしたら愛犬がこの日に迎えに来るのではないかと少し思っていた。

私は仕事だった。客先へ出向してまだ2ヶ月の私としてはまだ休みづらく、仕事へ行かざるをえなかった。いつもより1時間早起きし、準備を整え実家へ立ち寄った(実家は住まいから比較的近い)

夜のうちに息絶えてしまうのではないかという不安を胸に向かったが、昨日の夜と変わらない寝姿を見せてくれた。時間ギリギリまで撫でたり、声をかけたりして過ごした。

仕事へ向かうも、やはり気になって仕方なく、定期的に様子を連絡してもらうようにお願いした。

お昼頃、彼女は再び立ち上がりよれよれの足取りながら水飲み場へ行ったようだ。そして、驚くべきことに、お気に入りの洗面台へ自力でジャンプして飛びのった。彼女の足取りはすでにふらついているくらいなのに、どこにそんな力があるのだろうか。

彼女は特に死期が近いとは感じておらず、ただ、いつも通りの生活をしているだけなのではないかと感じていた。いつも通りベッドで過ごし、たまに2階のこたつで横になり、喉がかわいたら水飲み場へ行って水を飲み、その後お気に入りの洗面台で休憩する。彼女の日課を今も単純に繰り返しているだけ。人間がうるさく騒ぎやがって、と思っているのかもしれない。

仕事を終え、急いで実家へ行った。あの後も、何度か水を飲みに立ち上がったようだ。しかし、私の目から見るとかなり衰弱しきっているように感じた。声をかけての反応もほぼ無く、少し足を触った時の反発する力も薄れている。

私が付き添っている間にも何度か水を飲みに行った。もう体がついていかないのか、少し歩いてはそこに倒れ込み休憩し、また起き上がって水飲み場まで歩いた。水飲み場でも、10分ほど横たわった後に3度、4度水をなめた。

水飲み後の鳴き声はすでにかすれ、音として発声されていなかった。そして、洗面台へ登る力もなく、上を見上げるだけだった。この時は抱っこして洗面台へのせてあげた。この時てnで抵抗する姿は無く、かすれた声をだすのみだった。

この日は兄嫁も様子を見にきた。彼女は兄嫁の声がした時、少し立ち上がりそちらへ向かおうとした。やはり子猫のころから一緒の兄嫁は、彼女にとって特別な存在なのだろう。

彼女が兄嫁に飼われていた時、いつも座って膝を叩くのが彼女が膝に乗るサインだったようだ。兄嫁はこの日彼女の近くで膝を叩いてみた。彼女はその音に反応し、自力で膝の上に乗った。彼女にとって至福の時間だったのではないかと思う。私たちが引き取ってから、2人で過ごす時間はまったくなかったので、今は2人だけの時間になっているのだと思う。

その後、兄嫁が帰るまで彼女はずっと膝の上にのっていた。

そして、兄嫁が帰ってからベッドでずっと寝ていたが、ふと何かを思い出したように起き上がり、なんと私の膝の上に乗ってきてくれた。私は膝を叩くのがサインとは知らなかったが、彼女はいつも私が行くと膝に乗ってきた。それを思い出してくれたのかもしれない。この時間は、久々の2人の時間だった。うれしくて涙がでてきた。

その日は帰る時間まで彼女は膝の上にのってきてくれた。帰り際、呼吸はまだ落ち着いていたがもう私の声にこたえる力は残っていなかったようだ。

2019年3月26日(火)

彼女は愛犬のお迎えを断固拒否したのかもしれない。彼女の方が年上のため、一緒にいた2年間も、いつも愛犬の方が弱い立場だった。

この日も仕事だったので、朝早く起き、少しの時間を一緒に過ごした。すでに力はなさそうだった。もう峠が近いことを覚悟した。

この日は午後から出張で、出張先から直帰するため、定時で帰れた。18時過ぎには家に帰ることができ、彼女との時間をたくさん過ごすことができた。

実家へ行き、見た彼女の姿はすでに呼吸をしているだけの状態だった。前日の夜の時点でも呼吸しているだけの状態ではあったが、昨日よりも一段と衰弱しているように見えた。

今日こそ、本当に峠だと感じた。

しかし、衰弱しているように見えた彼女だったが、私が近くで座ると、目を覚まし膝の上にのってきてくれた。自力で来たのだ。家族のいる手前、涙をこらえた。

彼女は、兄嫁が来るまでずっと膝の上にいてくれた。時々体勢を変えようとするが、もう体は思うようには動かなかった。私が手伝い、寝る向きを変えた。

兄嫁が来た後は、彼女は兄嫁の腕の中で休んでいた。

それは22時を過ぎた頃だった。

彼女は足を伸ばし、痙攣を始めた。いよいよだった。

唯一生存を目視できたお腹の上下はなくなり、5秒に1度くらいのペースで痙攣のような、咳き込むような動きをした。

その後、彼女は虹の橋のたもとへ向かっていった。

最期を迎えても彼女の表情は変わらなかった。その眼差しにはまだ強い力が宿っているように見えた。しかし、彼女の体が動くことはなかった。

彼女を抱きかかえた途端、涙が溢れでてき、止まらなくなった。何度も撫で続け、名前を呼んだが、鳴くこともなく、尻尾でも答えてくれなかった。

彼女をベッドに寝させた。もう動かない体ではあったが、やはり何度見てもその顔はとても力強く、眼差しの強さは今まで見てきたものの中で一番の強さだったように思う。

私はこの顔、眼差しをずっと忘れることはないだろう。

最後に

彼女は火葬された。

初めて愛犬を失くした時は、突然の出来事ということもあり、心の準備が整わず、いわゆるペットロスの状態に陥っていたと思う。私自身が犬を飼いたくて初めて飼い、ずっと一緒に過ごしてきたこともあり、相当喪失感をもっていたと思う。(それを癒してくれたのも彼女だった)

今回は4日間、ほぼすべての時間を彼女と過ごすことができた。弱りながらも生きようという姿を目の当たりにした。そのためか、前回のような喪失感よりは感謝の気持ちがでてき、少し前向きな気持ちになれている。もちろん失った悲しみと少しの後悔はある。でもそれ以上のものを彼女にもらったと思う。

そして、彼女が生涯を全うしたように、今飼っているペットたちも同じように生きれるように尽くしていかなければと思う。

虹の橋のたもとには、きっと愛犬も待ってくれている。実家にいる時はしょっちゅう喧嘩していたけど、そっちでは仲良く遊んでほしい。そして、私がそちらに向かうまでもうしばらく待っていてほしい。その頃にはきっと友達がもっと増えているかもしれないけど、みんなで一緒に虹の橋を渡れるといいな。

ありがとう。

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